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小学生の訪問

 先週、校区の地域探訪というような授業なのでしょうか、曳馬小学校の六年生の女の子が四人、先生と一緒に善信寺を訪問してくれました。その際、せっかくの機会なので、玄関からではなく、本堂の本尊様前の中央鉄扉を開けて、そこから入ってもらいました。
 最初の子が入り口で靴を脱ぎ、つま先を外に向けて、きちんと揃えて入りました。ああ、立派に躾けられたいい家のお子さんなんだなと思い、二番めの子の様子を見ますと、靴を前向きに、つまりつま先を室内に向けて、揃えて脱ぎました。さて一番め、そして三番め、四番め、先生はどう反応するのかなと思ってそのまま見ていましたら、二番めの子が、私も家では反対に揃えて脱ぐけれど、前にお寺や神社では仏さまや神さまにお尻を向けないように、反対に脱ぐと聞いたことがあるからこう揃えた、でもよく知らないんだけれどねと、説明しくれまして、なるほどと他の子たちもそれにならっておりました。
 私は不勉強なので、申し訳なくもその反対のそろえ方というものを知らなかったのですが、なるほどと感心いたしました。ここに仏教とルールの関係を見たような気がしたからです。
 善信寺の先代和尚が修行中に、寒くて落ち葉でたき火をしたそうです。修行道場では、12月1日から8日朝までの臘八大接心という、いわゆる座禅強調週間の後でなくては山内でたき火をすることは禁じられております。先代のたき火はまだ臘八前の時で、それを見つけた先輩僧に、「お前は臘八前にたき火をしちゃならんということを知っててやっているのかぁ!」とすごい勢いで叱られたそうです。それに対して先代は、「はい、知っています」と答えたそうですが、先輩僧は途端に口調を抑え、「うん、知っててやってるならよし」と言い、そのまま行ってしまったそうです。つまり、「してはいけないと知っているのに、している」ということは、「それ相当の理由があってしている」ということであり、理由があってやっていることは尊重されるべきであるということでしょうか。一般社会だとむしろ「知らないでやってしまったことに罪を問うのはどうか」というのが心情でしょうが、修行道場では、知らないでするということは、なぜ禁止されているかという理由や背景をないがしろにして事を起こすということであり、より大事を引き起こす憂いがあるということなのでしょう。
 「私はお寺では靴を、つま先を室内に向けて揃えます」という行為は、なぜそうすべきかをしっかりと自分として理由付けて、その方が仏さまに失礼にならないという考えのもとに行われました。そこが尊いのです。禅の言葉に「三尺の童子を拝す」という言葉があります。幼い子にこそ学べという意味ですね。六年生ともなれば三尺を越えましょうが、童子を拝したくなりました。

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